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オバケ度…
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100% |
| 特定状況で「出る」 ○ |
相手無差別に「出る」 ○ |
| 会話は不可 ○ |
独自の論理 ○ |
| 異形の姿 ○ |
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小さくても、馬鹿にできない
ここ数年の間に魑魅魍魎を見たと思ったことが二回ある。
まず、一回めは、映画「ジュラシック・パーク」で小型の肉食恐竜が集団で徐々に人を追いつめて行く動きを見せられて息をのんだときだ。ぴょんぴょんと飛び跳ねるその恐竜たちは鶏程度の大きさで、通常はそれほど危険なものではない。だが、肉食なので、人間が弱った瞬間がーっと集団で襲ってくる。そうなるともう人間などただ食われる一方である。映画館でこれを見ながら、浮かんだ言葉は「魑魅魍魎」だった。
二回めは、インターネットでショッピングをするというテーマで本を書こうと資料を集めていた一九九五年夏ごろ。まだインターネットショッピングは黎明期で Books.comなどごく一部の店以外は、名前も聞いたことがなく商品も怪しげな小さなショップが多かった。注文を出そうものなら、あっという間に何かひどい目にあいそうで「こりゃあ魑魅魍魎の世界だ」と思った。
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もちろん、これらはどちらも本物のオバケがそこにいたわけではなく、魑魅魍魎「的」なものを見たに過ぎない。
魑魅魍魎とは小型の化け物、下等霊の類で、動きは個別だが集団で行動する。条件がそろうとワサワサワサといくらでも出てくる。ひとつひとつは手で簡単にはらいのけられる程度の力しかない弱いものなのに、数が多いのでこちらが消耗しているとやられてしまう。だいたいそんなイメージだ。
このイメージを築くのに最も強い影響があったのが、山岸涼子の大傑作マンガ「日出処の天子」に出てきた魑魅魍魎ではないかと思う。気力が弱って下等霊すら追い払えずにいる厩戸王子のところへ蘇我毛人がやってきて、御簾の中でどたどたと走り回りながら化け物たちを追い払う。こう書くとギャグマンガのようだが、二人の結びつきの強さと深さを示す大切な場面の一つだった。
こうしてあらためて考えてみると、マンガの影響でイメージが決まったオバケが随分多い。私はマンガに育てられたんだなあ…。
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