037 悪魔は化ける

ハリウッド映画に、悪魔が形態をめまぐるしく変える恐怖シーンが出てくることがあります。最初にこれに気づいたときには、へえそうか、悪魔は神様以外の神秘でパワフルなものの代表だから、何に形を変えてもいいのか、便利なものだ、と思い、また、面白そうな形のが出るのに、個別の妖怪に固定されないのはつまらないなあ、アメリカのお化け界は貧弱だなあ、などとも思いました。

しかし、それはちょっと違うな、と、その後自分の考えに修正を加えています。

あれは、お化けなのです。悪魔、という名前がついて、究極の悪玉、という統合的役割を与えられているだけです。形態が一定しない、というのは、ある種お化けの本質です。だって、名前がそもそも「お化け」じゃないですか。

悪魔は、本当は化けたいのです。散りぢりになり、個別の妖怪になり、また別の形に統合され、と、そういう流動的な存在でありたいのです。でも、キリスト教が、その欲望を縛り付けて、役割をひとつに固定しているため、ああやって、走馬灯的なイメージの羅列をするしかないのです。

つまり、究極の善に対する究極の悪で、神様と永遠の戦いを繰り広げている悪魔は、実はお化けの一種なのである。日本のお気楽な妖怪たちと比べると、自由を欠いている分、お化けとしては格下である、と。こういうことになります。

一方、河童や小豆洗いは、カタログ化によって姿と性質が固定してしまった分不自由なんだから、そっちのほうが格下じゃないか、という反論もアリです。

つまり、何が言いたいのかなあ、悪魔も妖怪も、本質的には同じものなんじゃないか、ってことでしょうか。

ずいぶん乱暴な意見です。これを支えるための学問を私が持ってるわけでもありませんから、ただの素人の仮説です。でも、最近、昔は異質に思えていた世界各国の文化が、なんだか深いところではそれほど違わないような感覚が強くなっていて、そうすると、こういう考えがわいてくるわけです。

また書きます。

2007年2月


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